「共同体的なもので型にはめて守ってやらなければならない」

 もともと子どもが大人になるのは,蕾が花になっていくような自然なものではない。そのリアリティーを哲学者の鷲田清一さんは,『じぶん・この不思議な存在』(講談社現代新書)で,<個人としてのさまざまな私的可能性を失って,社会の一般的な秩序の中にじぶんをうまく挿入していくこと>と表現している。近代的な人間とは,子どもが自然に抵抗なしに育っていくものではないのだ。
 もちろん,昔と比べて子どもの環境や生活はずっとよくなってはいる。問題はその内面のあり方である。今は学校でも家庭でも型にはめて育てない。自由がありすぎて,どこでも『あなたの個性を伸ばしなさい』『自由に生きなさい』と子どもを脅迫する。もともと強い子はいいが,そうでない子は自分の型をつくるとっかかりがつかめない。独りで精神の荒野に放り出されたようなものだ。
 子どもは家庭や共同他の文化や習俗に守られて育てられなければならないのであろう。それなのに,早くから個人対個人の契約社会に投げ出されて,無理に自由や決断を強いられている。祖どもがすでに社会の成員としてふさわしい力と強い個性をもっているかのようである。子どもはまず,共同体的なもので型にはめて守ってやらなければならないのではなかろうか。

(2009年4月26日付 中日新聞 「テーマで読み解く」より)