幸せの求め方が他者志向型になっている

 本来,自由な社会というのは,絶えず社会の中に予測不可能なノイズが入ってくるものです。そしてそれを内側に取り込んでいくことによって,わたしたちの社会は,より強くしなやかになっていくのです。
 反対にそういう予測不可能な要因を遮断した社会というのは,純粋かもしれないけれど,ちょっとしたノイズも許さないような狭量な社会,度量の小さい社会になってしまうでしょう。
 結局,自由な社会ほど,いい社会かというと,必ずしもそうではないと思います。自由な社会というのは,実はリスクを常に抱え込んでいる厳しい社会だということです。不安のない自由はないのです。

 わたしたちの暮らしに関わる重大な問題は,年金にしろ,環境問題にしろ,ほかにもいっぱいあるのに,犯罪に関わるニュースが圧倒的に多いでしょう。なぜこれほどまでに,わたしたちは犯罪に過剰な関心を向けるのでしょうか。
 実は日本の青少年の犯罪件数は昔と比べると減っているのです。若者が起こす殺人事件の割合も世界の中でかなり低い。
 ところが今のニュースを見ていると,何か日本の青少年の犯罪が涼気歌詞,それが増殖しているかのような印象です。なせこんなにも不安が増殖するのでしょうか。これは,現実に安全が脅かされているからではなくて,今の社会の閉塞感と関係しているのではないかと思います。
 この先の展望が見えない。将来の人生設計というものが不確実になってきている。そういう不安な状況の中で,安全に対する身体感覚がすごく過敏になってきているように思うのです。わたしたちには音楽でいうところの"絶対音感"のような,安全に対する皮膚感覚が本来あったはずですが,これが社会的な不安感の中でどんどんあおられ,過剰に反応するようになってしまったのではないか。
 だから犯罪報道を流せば,視聴率は上がります。視聴率が上がるから,犯罪報道が増えます。送り手と受け手がお互いに増幅しあうようなこの関係を少し考え直さなければいけないと思います。

 旧暦というのは非常によくできていて,自然植物の発芽や月の満ち欠けなど,博物学的ともいえるような知恵が含まれています。小さいころ,わたしはそれがただの迷信だと思っていたのですが,そうではなかった。生きるための知恵がそこにはありました。
 たとえば母は潮の満ち引きを正確に知っていて,一度も誤ったことがなかった。その結果として,アサリはいつ食べるといちばんうまいとか,渡り蟹はいつ食べるといちばん身が引き締まっているか,なんていうことを的確に知っていました。
 それから韓国の場合,野草をたくさん食べるのですが,その野草の季節も全部覚えていました。旧暦の世界では,自然と人事が強く結びついていて,見事にハーモニーを描いているようでした。
 ところがわたしたちは今,そうした身体的なリズムを失ってしまっています。祖先の時代から蓄えられてきた知恵があっても,核家族化がすすめが,それを仕入れる機会もなくなったしまう。
 むしろ現代人に必要とされているのは,学校のチャイムに合わせて生きることですよね。始業のチャイムが鳴って,四五分授業があって,12時には給食があって・・・・・・という,このリズムで動いています。小学校に入学したときは,子供たちはまず馴染まないけれど,それに次第に慣らされていく。
 こうして始まるのがマニュアル化です。学校という時間の中で,ますますその傾向を強めていくのです。
 でも,マニュアル化は基本的に疲れます。だから現代人はみんな疲れているのです。

 むしろ,敢えてそうした"差異"を作ろうとする傾向が資本主義社会にはあります。グローバル化が本来の意味で進めば,国境や民族の違いというものがなくなっていくはずなのですが,そうなってしまうと,資本は価値を作り出せなくなってしまうのです。価値は"差異"によって作り出されるものなのです。
 だから簡単には,差別というものはなくならないし,むしろそれを作ることで,あるシステムは保たれていると言っていいでしょう。
 たとえば移民の問題で考えたとき,グローバルにみたら,移民でも優秀な人はどんどん登用すればいいじゃないか,と思うのに,社会はそちらの方に向きません。なぜなら,そういう差別を作っておくことで,フランスのミドルクラスの人たちは,「移民よりはマシだ」というふうに自分たちに価値を見出すことができるからです。それで溜飲を下げることができます。そうすることで,国のシステムが保たれているのです。
 国と国の関係も同じです。「あの国はひどい」「あの国よりはマシだ」という差異を作ることで,過剰に国家意識や国民意識を高め,それによって国民とか国家という領域を保とうとしているのが現状です。

 また現代社会の特徴として,幸せの求め方が他者志向型になっていることもいえるでしょう。これは社会学者のデビット・リースマンという人が『孤独な群衆』の中で言っていることですが,現代社会は『ほかの人がどう思うだろうか?』とたえず他人の視線を気にし,みんなと同じような行動をとることを幸せと感じる社会です。
 「30歳までには結婚しないとマズイんじゃないか」と女性が感じるのも,他人からの視線を気にするところが大きいでしょう。『いい車に乗りたい』と思うのは,その車の性能がいいからだけでなく,高い車に乗れば,みんなからうらやましがられると思うからです。