人間集団の規模

 たとえば,シューマッハーの弟子たちはこんな例を出して説明します。
「火に包まれているビルの窓から女性が助けてくれと叫んでいる。このとき,通りかかった人間が3人ぐらいなら,人はただちに行動する。おまえは電話をしろ,おれは飛び込む,まだ間に合う,となる。それが30人になると,だれかが助けてくれると思って全員が傍観者になってしまう。さらに群衆が300人に膨らむと,あの人が飛び降りて死なないかな,といって見物するようになる。どんどん道徳が低下してしまう。」
 この指摘は,人間をはじめ生き物や集団を考える上で,とても大きな示唆を含んでいます。
 日本でも,大きな会社は必ず,「大企業病」になります。人間は30人ぐらいの規模だと心を合わせてよく働きますが,それよりも大規模なると,内部摩擦が起こり,互いのストレスが高まっていきます。まして千人にもなると,ルールを作らなければ集団は維持できません。
 その結果,会社のなかには裁判所や刑務所ができてしまいます。辺地の支店に左遷されたり,「窓際族」に追いやられたりします。どうしても,ルールに反すればこうなるというみせしめのポストが必要になってきます。
 結局,人間が大勢集まると,管理社会が出現し自由もモラルも低下して,生き生きとした人間活動ができなくなるのです。人間は一人では生きられませんから集団生活をするのですが,そうなると,自分のいのちも自分だけのものではなくなります。