危険運転致死罪

 批判を覚悟で書きます。
 福岡県での3幼児死亡事故の判決である。
 わたしは一審「業務上過失致死傷罪」の適用が妥当だと思います。今回の判決は,「感情的な判決」だと思うし,「世論におもねった判決」だとも思います。確かに3人の幼児がいのちを奪われたことは重大だし,遺族の悲しみはいかばかりかと思うが,そういうことは判決に「直結」してはいけないのではないでしょうか。わたしは法律の専門家ではありません。ただ,断罪は法律に則って裁くべきであり,感情で裁いてはいけないと思うのであります。
 そもそもこの事故の「断罪」とすべき点は,飲酒運転であり,スピード違反による追突であり,事故後に逃走したひき逃げであります。結果は3人が死亡という重大事故になってしまいましたが,この死亡に関しては,他の事情も絡んでいると考えるのが妥当で,すべてを運転者に帰するのは無理であります。
 もし,この事故が橋上ではないところで発生していたとしたら,恐らく3人死亡という事実はなかったと思われます。たとえば,田んぼの真ん中,農道での事故だったら,被害者のRV車は田んぼに突っ込んで全員が軽傷のみ,という状況だって考えられます。その場合,運転者の行状は今回の事故と同じと考えられますが,結果は大きく隔たってしまいます。そんな,結果によって判決が左右されていいとはわたしは思えないのです。あくまでも,被告人の行った行為を罰するのが原則なのではないのでしょうか。
 さらに,仮に橋上で発生した事故であったとしても,ミニバンが川に転落しなかったとしたら,やはり死ぬことはなかったと思います。その場合「飲酒運転による追突事故」として「業務上過失致傷罪」で裁かれたでしょうし,それに異論を唱えるマスコミや世論は発生しなかったと思います。つまり死亡の原因は,事故による打撃ではなく,転落してしまったことによる2次的な被害にあるのは明白であります。とすれば,転落してしまうような橋を造った自治体の「過失」を第1に問うのが筋ではないかとすら考えられます。そういう意味でも,事故の原因をつくった運転者にのみにすべての罪をかぶせるのは妥当ではないと考えます。
 そもそもこの「危険運転致死罪」という法律そのものが,きわめて曖昧な悪法だと思います。「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は15年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は1年以上の有期懲役に処する。」というものですが,法律のくせに,「正常な運転が困難な状況で」という曖昧な条文を堂々と含んでいます。どう解釈すればいいのでしょうか。これでは,裁判官の主観で裁いてください,と言っているようなものです。
 たしかに3人が死亡してしまったことは悲しいことであり,遺族からすれば「どんなに重い刑罰でも癒されない」という気持ちは当然であります。その思いは絶対に間違ってはいません。しかし,その思いはあくまでも個人的な思いであります。その気持ちで「公的な断罪」左右させるのは間違いです。
 思えば,最近「罪人」を圧倒的な「正義」の立場から世間やマスコミが断罪するという場面が増えてきており,わたしとしては気持ちの悪い状況になってきています。復讐・仇討ちを国家や世論が強力に後押しをし,それを罪を犯さなかった人々が拍手喝采で溜飲を下げる,そんな劇場があちこちに見えてきているのです。
 そんな世間では,復讐される方に回らないように,みんなで拍手する方に常にいられるように,と気をつかうことが大切です。「正義」の声に逆らわないようにすることが大切なんです。どの新聞を読んでも,テレビのコメンテータの意見を何人聞いても,「正義」の側からの意見しかありません。みんなが「そおんな,悪いことは,いっけませぇーん」と一斉に叫んでいるようで,わたしは最近息が詰まるような思いをときどきしています。
 批判を覚悟で,もう一度言います。
 福岡県での3幼児死亡事故は「業務上過失致傷罪」の適用が妥当であり,懲役7年6ヶ月の一審判決は間違っていないと思います。